なぜ私たちは苦しいことがあると、その苦しみの原因を他人のせいにして、他人を責めることで問題を解決しようとするのだろうか?
それは他人が悪いと思えば、自分は正しい所に立てるから。
では、なぜ正しい所に立ちたいのかと言えば、正しい所に立てば、自分は責められなくても済むから。
苦しみを他人のせいにする人ほど、小さいときに責められて育った人だと言える。
このような人の親は日頃から思い通りに物事が進んで当然だと思っている。でも、子どもと一緒にいると、自分一人では思い通りに物事が進むことでも、思い通りにならないことが多い。
そうすると、思い通りにしたいから子どもを責める。責めることで言うことを聞くと思っている。そうやって、責めるときは、こんな事になったのは、お前が悪い。お前のせいだと責める。そうやって責めて思い通りにならないと、また責める。思い通りになるまで責め続ける。
このように責められた人は、心の中でいつも自分のことを責めてくる鬼ができる。
小さい時に自分のことをダメだと言った親のようにいつもダメだと言って責めてくる鬼が自分の中にできる。
この鬼はまわりの人が思い通りにならないことが起きると、それはお前のせいだと言って責めてくる。
ちょうど自分の親が思い通りにならない時にお前のせいだと言って責めてきたように、思い通りにならないことはすべてお前のせいだと言って責めてくる。
だから、日頃は自分の中の鬼が責めて来ないように、他人の邪魔をしないように気を遣う。でも、自分が気を遣った分だけ、今度は自分が思い通りにならない時は、自分に原因があると思えず、他人を責める。
これが苦しいことがあると他人のせいにする心。自分の中に思い通りにならないことがあると他人を責める鬼がいて、その鬼からいつも責められているから、自分が思い通りにならない時には、自分自身が鬼になって他人を責めてしまう。
そうやって、責めている間は自分の中の鬼は自分を責めなくて済むから心が楽。だから、事ある毎に、他人を責めて楽になろうとする。
そうやって、責める時は、自分ならば、こんな時は相手に嫌な思いにさせないように気を遣うのに、どうしてあの人は気を遣わないんだと他人を責める。
そうやって、責めている間は責められなくて済むから、心は楽になれる。だから、楽になりたい一心で責めてしまう。
つまり、他人のせいだと責める人ほど、いつも心の中に鬼がいて責められている。
そして、この鬼は責めても思い通りにならないとお前はダメな奴だと自分の存在を否定してくる。
だから、自分はダメな奴じゃないかと不安があって、それは思い通りの未来がやって来ないだけで、自分の人生はダメじゃないかと思ってしまう。
だから、自分はダメな人間じゃないと思いたいから、思い通りにならない相手をダメだと否定する。否定して、ダメだと認めさせたら、何でも自分の言うことを聞くと思っている。
これも皆、小さい時に、親が思い通りにしたいが為に、自分のことをダメだと否定したから。
子どもの時に受けたものは大人になって、他人にする。それは自分のことを責められたくないから、否定されたくないから、自分自身が鬼になって、他人を責めてダメだと否定する。
でも、そうやって、責めているから、ダメだと否定しているから、自分の中の鬼が消えずに鬼に怯えながら生きなければならない。
この人は嫌なことがあると死にたいと言いながら、絶望的なことに心の中の鬼は自分の作り出したものだから、自分が死んでも魂と一緒についてきて、消えることはないのである。
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