この世に馬鹿にしてもいい人間なんかいない

私たちは人を馬鹿にする時、無意識のうちにこの人は馬鹿にしてもいい人間だからと決めつけて馬鹿にしている。
そうやって、世界を馬鹿にしていい人間と馬鹿にしてはいけない人間に分けて、自分を馬鹿にしてはいけない人間という所に立って安心して、自分は馬鹿にされない人間だからと思って、人を馬鹿にしている。
でも、どんなに自分を馬鹿にされない所に置いたとしても、他人から馬鹿にされることはある。そんな時、その人は馬鹿にされたことよりも、相手から自分のことを馬鹿にしてもいい人間だと見られたことに腹を立てる。
そして、何で自分を馬鹿にするのだと責める。
でも、馬鹿にされたと感じて腹を立てるのは、自分がこの人は馬鹿にしてもいい人間なんだと思って馬鹿にしていたからであり、他人を差別して、馬鹿にしてもいい人間だと思うから、自分もその中の一人として見られたことに腹を立てるのです。
だから、たとえ相手がどんなに愚かな人間であっても馬鹿にしていい人間なんていない。そうやって馬鹿にしてもいい人間を作って、自分は馬鹿にされない所に立って安心しても、馬鹿にしたら、馬鹿にされた時に苦しまなければならない。
自分だって馬鹿にされたら苦しいもの。それは馬鹿にされたことよりも、自分は馬鹿にされるのに相応しい人間だと見られたことが苦しい。
そう思ったら、この世に馬鹿にしてもいい人間なんていない。こんな奴だから馬鹿にしてもいいんだと思うことはやめて、どんな相手でも馬鹿にしたら、馬鹿にされた時に苦しむのだと思ってやめてゆく。
こいつは馬鹿にしてもいい人間なんだと思って馬鹿にする人ほど、苦しみもまた大きくなるのですね。

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