でも、仏教ではこういう感情を起こすことを愚痴と言われる。愚痴とは智慧がなく愚かなこと。でも、上手く上司に取り入ることによって出世している人がいたら、あの人いいなと思うのは当然のことではないかと思ってしまう。それを仏教ではなぜ愚痴と言われるのか。
それは仏教は善をするのは、善果を得る為ではなく、そんな善のできる徳のある人になりたいから。でも、多くの人が善果を求めているのは善果を得ることによって楽になりたいから。
この楽がしたいという感情とはどんな感情なのか。楽がしたいというのは、動きたくないという感情。いつまでも欲に流れてダラダラしていたいと思う感情のこと。
誰だって忙しい時は楽ができたらいいと思うもの。だから、楽をしてお金を稼いでいる人を見ると羨ましくなる。いいな、自分あの人と同じようにお金を稼ぐことができたら、どれだけ楽ができるかと思ってしまう。それほど、みんな楽して生きていきたいと思っている。じゃあ、そんなに楽がしたいのなら、実際に楽ができるようになったら幸せなのかと言えば、楽ができても、欲に流れるだけ。そりゃあ、欲に流れることが楽しい間はいいけど、欲に流れることに飽きてくると、時間を過ごすことが苦しくなる。これは時間がいつまでもあると思っている間は感じることはない。でも、そうやって欲に流れている間にあっという間に時間が過ぎて歳をとっていくことが分かってくると欲に流れることが虚しくなってくる。
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