善とは3

これを譬えた話に浦島太郎という話がある。浦島太郎とは、亀を助けたお礼に龍宮城に行く話。ここで、浦島太郎は龍宮城で二週間ぐらい楽しんだと思って、故郷が寂しくなって、家に帰りたくなった。そこで、浦島太郎は乙姫様に頼んで、故郷に戻ることになり、帰ってみると、見る世界が一変していた。そこで不安になった浦島太郎は乙姫様から預かった玉手箱を空けると、そこから白い煙が出て、太郎は白髪のおじいさんになってしまったという話。

でも、実はこの話、太郎が龍宮城で二週間ぐらい楽しんだと思っている間に、五十年という月日が過ぎていた。でも、浦島太郎は龍宮城にいた為に、五十年も過ぎたのに、それを二週間ぐらいしか感じなかった。これと同じように欲に流れるとは、龍宮城の中にいるようなもの。龍宮城の中では時間は瞬く間に流れてゆく。時間というのは恐ろしいもの。時間の感じ方は一定ではなく。苦しい時の時間の感じ方は長い。でも、欲に流れた時の時間の感じ方はどんなに長い時間があったとしてもあっという間。僕も昔、欲が楽しい時期があった。欲に流れているといくらでも時間を過ごすことができる。そして、時間ができると、すぐに欲に流れていた。たとえばある日、時間が七時間くらいあると、やったあ、これから、七時間も欲に流れることができると思っていた。ところが、実際、欲に流れてみると、時が経つのはあっという間、七時間という時が夢のように過ぎていった。これが一日でも欲に流れていたらあっという間。どんなに長い時間も夢のように過ぎてゆく。

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