煩悩から離れる

貪欲とは、もっともっとと自分の我を拡大してゆくこと。例えば、お金なら、いくらあっても多すぎることはないともっともっととお金を求めてゆくこと。そうやって、お金が増えてゆくと、お金に対する執着も増える。執着が増えると、お金がなかった時には起きて来なかったような不安が起きてきて、やっぱりもっとお金が欲しいとお金を求めるようになる。不思議なもので、お金に執着すると、お金を貯めてゆくことに心が奪われて、お金を使わなくなる。どれだけ貯まっても、そのお金は使わない。毎月入ってくるお金ばかりに目を向けて、このお金を使わなければ、お金はもっともっと貯まってゆくと、お金を貯めることが喜びとなる。それと同時に不安も大きくなり、将来不況になったら大変だともっとお金を貯めておかないとお金に対する執着がますます強くなる。そうやってお金に対して執着すれば、するほど、死んでゆく時には何一つ持ってはゆけないので、執着した分だけ苦しまなければならないのに、それが見えてない。これが執着。この執着とは、自分に対するとらわれの心だから、執着が強くなればなるほど、ちょっとしたことでも心が傷つく。そして、無常という現実を認めたくないから、無常を起こした人に対して怒りを起こし、その人を責めずにはおれなくなる。これが瞋恚。そして、苦しい時に、執着が原因で苦しんでいると思えず、無常さえやって来なければ苦しまずに済んだのにと他人を責める。この苦しみの原因が無常を受け止められない心にあると思えず、無常を起こした人さえいなければ苦しまずに済んだのにと思う心。それが愚痴。この貪欲、瞋恚、愚痴の心が煩悩であり、この煩悩はちっぽけな自分に対するとらわれから離れることで、煩悩も離れることができるのです。

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