殺生とは

殺生とは、邪魔者は消えろという心でする行い。私たちは思い通りにしたいという心がある。もちろん、何事も思い通りになったならば、そんな良いことはないが、現実には様々なことで、思い通りにならないことが起きてくる。その時、心の中でこんな邪魔な奴がいなくなれば、思い通りになるのにと思う心はないだろうか。この心こそ殺生。それはたとえ口に出さなかったとしても、態度に表さないように気をつけていたとしても、心で思うだけで殺生。それは心で思っていたならば、必ず態度にも現れているもの。では、なぜ殺生をすることが悪なのか。まず悪とは苦しみを生み出す行い。この殺生が悪だというのは、殺生をすることによって他人が苦しむのではない、自分が苦しむから止めなさいと教えられるのです。では、なぜ殺生が悪なのか。邪魔者はいなくなれと思うのは普通のことではないかと思うかも知れないが、そうやって邪魔者を否定すると、自分が心で思ったことが跳ね返り、今度は他人にとって自分が迷惑だと感じたならば、自分はここに存在してはならないように感じるからです。だから、殺生をする人ほど、他人に迷惑をかけないように気を遣い、気を張る。そして、相手に何かをお願いしたとき、少しでも嫌な顔をされると、そんな嫌な顔をされるぐらいならやらなくてもいいと逆に自分の方が腹を立て不機嫌になります。でも、どんなにまわりの人にとって迷惑にならないように気を遣ったとしても、それでも心の中ではいつも自分の存在が迷惑だという声なき声が鳴り響き、自分がまわりの人にとって役に立たない存在と感じたならば、自分なんかこの世から消えてしまいたいと思うようになります。歳を取ったご年配の方が早く死んで楽になりたいというのも、この殺生業が強いからであり、この殺生という他人に向けた刃が自分に向かい自分を傷つけて苦しむのです。だから、殺生は悪であり、止めなければならないのです。

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