愧とは

愧とは、自分が人の道から外れたことをしてしまったときに、それを人に見られたならば、「ああ、何と恥ずかしいことをしてしまったのか」と自分のやった悪を恥じる心を言います。これも慚と同じように私たちは他人に悪を見られた時に他人から責められたくなくて、簡単に自分を責めてしまいます。自分を責める人は自分の心を守ろうという心がありません。他人から悪く見られない為に簡単に自分の心を握り潰してしまうし、正しいことには従わなければならないと他人の心を潰してでも自分の思いを通そうとします。また、人間の心がない人は、この世で大事なものは、お金や地位や名誉、また、他人からどう見られるかということを問題にします。他人からよく見られる為なら、簡単に他人の心を踏みにじり、嘘もつく。嘘をつくと自分の心も傷つくのですが、自分の心が傷つくのが当たり前になった人は、自分の心を傷つけても何とも思わないし、他人の心を傷つけても何とも思いません。仏教とは自分の心も他人の心も傷つかないように大事にする教え。それが抜けてしまったら、ただ正義を振りかざすだけの他人の心を傷つけても何とも思わない非道な教えとなってしまうのです。

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