善とは4

これは一日だけではない、一週間あろうと一ヶ月あろうと、欲に流れていたら、時間は瞬く間に流れてゆく。欲に流れている時に時間の感じ方はまるで欲に流れている間は時間が止まっているように感じる。そして、いつの間にか、流れるように時間が過ぎてしまっている。

僕も大学時代、四年生までに単位をほとんど取ってしまい、四年生の時はほとんど学校に行かなくてもよくなった時があった。この時はまるで毎日が日曜日状態。当然、毎日、欲に流れてしまった。じゃあ、欲に流れるというのは楽しいのかと言えば、楽しいのは始めのうちだけ。だんだん、惰性で時間を過ごすようになっていった。そえでも何かしないといけないと思うのだが、時間があるのに、体は思うように動かない。ハッキリ言って、その当時の僕は穢れていた。穢れると何をするのにも面倒臭くなる。まだまだ時間があるからと思って、あと回しにする。そうやって欲に流れている間に、瞬く間に時間が過ぎてゆく。そして、欲に流れていることが楽しいのかと言えば、そうでもない。それどころか、毎日毎日が何となく心が重くて苦しかった。そして、欲に流れると生活も乱れる。夜は三時ぐらいまで起きていて、起きるのは昼。こんな生活だった。ハッキリ言って、生活が乱れると心も苦しくなる。そうやって、自分でも何とかしなくてはいけないと思っていながら、なかなか自分を変えることができず、時間だけがどんどんと過ぎてしまっていた。これが私の大学四年の一年。この一年楽ができた。でも、楽ができることが幸せではなかった。楽ができることは幸せのように思うけど、実際、一年間、楽をしてきた感想から言えば、楽をすることは幸せではない。でも、みんな楽がしたいと思っているのは、楽になることの苦しみを知らないから。

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