預流果とは

預流果とは何か?
私たちは善悪にとらわれている。自分の常識でこれは善いこと、これは悪いことと決めつけて、自分なりに悪いことはしないように善いことをするように心がけている。
だから、みんな自分の中では悪いことはしない、他人に迷惑をかけることはしない善人だと思っている。
この自分は善人だというイメージこそ我。この我が崩されて、今までこれが自分だと思っていたものは、本当の自分ではなくて、自分はこんな人間だとイメージしていた自分なんだと知らされること。これが預流果。
私たちは自分の姿が見えていない。たから、必要以上に自分のことを美化して自分のことを見ている。自分なりの価値基準しか知らないから、自分の中ではいつも悪いことはしていない。だから、いつも自分は善人だと思って、高いところに立って、相手のことを見下している。自分は善人だと思っているから、簡単に他人のことを見下して、こんなこともできないと馬鹿にしたり、相手の間違いを責めて正してあげたくなる。この自分は善人だという思い。相手は自分のことをどう見ているかということを見ておらず、自分は善人なんだとイメージしている、このイメージが崩され、自分は自惚れていた。他人のことを何も見ていないのに、分かっているところに立って馬鹿にしていたということがハッキリと知らされる。これが我見から離れた世界、預流果という悟りなのです。

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