自分のものにする心から苦しみが生まれる

仏教では、苦しみとは、物や人に我をつけて自分のものにする所から起きると教えられる。
なぜ自分のものにしたら苦しみが起きるのか?
それは自分のものにしたものは、自由にできると思っているから。
自由にできるとはどういうことか?
自由にできるとは、価値のあるものでも、価値のないものとして見て軽く扱うことができる。
思い通りにならないものは責めて思い通りにすることができる。
自分が楽になるために、相手を動かすことができる。
これが自由にするということ。
でも、私たちは相手に対して思ったことは自分に跳ね返る。
馬鹿にしたら、馬鹿にされているように感じるし、責めたら責められているように感じる。そして、自分が楽をした分だけ、自分が動かないといけなくなった時に苦しくなって、不満しか起きて来なくなる。
私たちがこれは自分のものになったと思って、自由にできると、これらのことを思っただけで、私たちは軽く扱われているように感じて、何とか自分の価値をまわりに認めさせようと頑張るようになるし、責められないように生きるようになる。また、他人の為に動くと不満が起きるので、自分が認められるか、楽をする為にしか動けなくなる。
そして、このようになると、人生は思い通りにならないことがいっぱいで苦しむ。
あれもこれも障りになる。障りになったことがいつまでも忘れられず苦しみ続ける。
すべて自分のものにしたいという心から起きる。苦しみとは、自分のものにして安心する所から生まれるのですね。

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