煩悩はなぜ生み出されるか

なぜ私たちは苦しまなければならないのか?
仏教では苦しみの原因は煩悩だと教えられる。煩悩とは、私たちを煩わせ悩ませるもの。
例えば、人からお前デブだなと言われた。この時、デブだと言われて心が傷ついたとしても、心を入れ替えて、まっいいかと思えたならば、デブだと言われたことが苦しみにならない。
でも、苦しんでいる人というのは、この心の入れ替えができず、いつまでも相手から言われたことが心に残り、思い出しては苦しむ。これが煩悩。
では、なぜ忘れられないのか?
それは心の奥底にみんなは自分のことを嫌っているという不安があり、自分の存在を肯定的に見ることができないから。
これをマイナスの我という。マイナスの我があると、そのままでは自分のことを受け入れてくれない、存在してはいけないと思って、少しでも価値のあるものを身につけることによって、自分の自信にして、自分はこんな価値のあるものを持っているから生きていてもいいんだと自分の心を納得させる。
これをプラスの我と言って、私たちはマイナスの我をプラスの我によってカバーしているから、自分は生きていてもいいんだと思って生きている。
でも、その我を他人の心のない言葉によって否定されると、プラスの我の奥にあるマイナスの我が見えて、自分はダメな人間じゃないか、みんなから避けられているのではないか、嫌われているのではないかと不安になる。
一度、プラスの我が傷つくと、その奥にあるマイナスの我が見えるので、どんなに自分のことを肯定的に見ようとしても、ことある毎に、自分のことを否定的に見てしまい、その根拠である出来事や他人から否定されたことを思い出しては、自分で自分の存在を否定し苦しむのである。
つまり、煩悩とは、どんなに自分の存在を肯定的に見ようとしても、自分の存在を否定的に見る心が消えなくなった状態であり、まわりの様々な出来事を通して、こうするのは、自分のことを嫌いだからやるんだと思って、自分は他人から嫌われる人間なんだと思って苦しむのです。

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