我執6

善心と心が汚れるとは逆の心。心が汚れると何となく心が重くなる。心の中で不満や文句が多くなる。このような人が思い通りにならない現実にぶつかるとどうなるか。

今度は欲の河から、怒りの河に落ちる。これを親鸞聖人は瞋憎の心常に能く法財を焼く、と教えられた。瞋憎とは怒り憎しみの心。普通の怒りと瞋憎とは何が違うのか。瞋憎とは怒りだけでなく、怒りが憎しみに変わる。心が汚れている人は自分の思い通りにならない現実にぶつかると、それが怒りになるだけでなく、この人がこんなことさえしなかったら、こんな目に遭わなくて済んだのに、と恨みに変わる。

そして、その恨みがいつまでも消えることがない。普通の怒りというのは、怒ったら心がすっきりするもの。でも、心が汚れている人は怒りが憎しみに変わる。そして、いつまでも消えることなく、他人を責め、自分を責める。これが瞋憎の心。

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