心を浄らかにするとは何か。
浄らかとは、物事を執着によって歪ませることなく、ありのままに見えている状態。
ありのままに見るとは、自分にとって都合の悪い現実を執着によって見えなくさせて、都合の良いように見るのではなく、ありのままに見ること。
だから、ありのままに見るとは、自分にとって都合の悪い現実を見なければならないから、苦しい。つまり、心が浄らかになると自分の見たくない現実まで見なければならないから、心が穢れていた時よりも苦しくなる。
でも、正しく見えなければ正しく判断することはできない。私たちは、苦しみたくはないから、執着によって世界を歪ませ、見たくない不都合な現実を隠している。その為、正しい判断をすることができず、苦しみの流転を繰り返さなければならない。
中でも正しく見れないもの。それは時間。
私たちは、いつまでも生きられると思って生きている。だから、自分の時間の使い方に疑問を起こすことはしない。
自分が死んでゆかなければならないということがもし分かっていたら、必ず自分の生き方に疑問が起きてくる。このままただ流されるまま時間を費やしていていいんだろうか。このまま一生を終えたくはない。自分の中で言い知れない気持ちが起きてくるはずです。
これが心が浄らかになるということ。それは自分の死について真剣に考えるようになることでもあるのです。
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