御一代記聞書 悪きこと

人の心得のとおり申されけるに、「我が心はただ籠に水を入れ候様に、仏法のお座敷にては有難くも貴くも存じ候が、やがてもとの心中になされ候」と申され候所に、蓮如上人仰せられ候、「その籠を水につけよ」と「我が身をば法にひてて置くべき」由仰せられ候。万事信なきによりて悪きなり。善知識のわるきと仰せらるるは、信の無きことを僻事と仰せられ候事に候。
ある人が蓮如上人に対してこう尋ねられた。
「私の心はザルのようなものです。せっかく仏法を聞いて心に功徳の水を入れても、しばらくするとその功徳の水もすっかり抜けてしまい。また同じ心に戻ってしまいます。」
それに対して蓮如上人はこう仰せられた。
「それなら、そのザルを水につけなさい。仏法に我が身を浸すのだ」
この世で最も悲しいことは阿弥陀仏の救いが信じられないことである。善知識が悲しまれることは、人々が阿弥陀仏の救いを信じられない為に苦しまなくてもいいことで苦しみ続けていることなのである。
解説
ある人が蓮如上人に対して、日頃の自分が思っていることを尋ねられた。
「私の心はザルのようなものです。せっかく仏法を聞いて功徳の水を入れても、“寺は照る照る道々曇る家に着いたら雨風じゃ”で仏法を聞いた喜びも消え失せ、元の心に戻ってしまう。」
ここで元に戻るとは、煩悩に振り回された生活が始まる。暇があったら欲に流れ、思い通りにならなければ腹を立てる。嫌なことがあった逃げて、いつも心の中には不安を抱え、その不安を誤魔化す為に忙しく何かをしている。そうやって仏法のことはすっかり心から無くなってしまう。これが元に戻ってしまうということ。
それに対して、蓮如上人はこうお答えになられた。
「そのザルを水に浸けなさい」 
つまり、ザルを水から上げてしまうから悪いのだということ。
“凡夫の真実(まこと)はまことが無いのが凡夫のまこと”という言葉があるように真実のない私の心に真実一杯の仏法の水を注いだって、水に油。すぐに抜けて元の煩悩に塗れた心に戻ってしまう。だから、蓮如上人は“仏法に我が身を浸しなさい。”我が身の中に仏法を入れようとしているから間違いなんだ。仏法の中に我が身を入れるのだ。
“常に仏法の中に触れるように心がけてゆく”
何が悲しいと言っても、阿弥陀仏の救いを信じられないこと以上に悲しいことはない。
ここで阿弥陀仏の救いが信じられないとはどういうことかと言えば、
“こんな悪い人間は助からないのではないか”
“他人に迷惑をかける人間はいてはならないのではないか”
“こんな横着者ではいけないのではないか”
このように自分の中にある悪を否定し、その存在を消そうとする心のことです。私たちの心の中には悪を否定する鬼が住んでいる。この鬼が金棒を振り上げて、「こんな悪い人間はダメだ。」「こんな他人に迷惑をかけるものは消えてしまえ」と責めてくる。助からないとは、こんな悪いものはいてはならないと思うこと。それは自分の心が生み出した鬼が自分の悪を責めることで、そう感じるのです。しかし、阿弥陀仏はそんなものを絶対に見捨てないと誓っておられる。阿弥陀仏を信じたならば、自分の中に悪が見えるほど、「こんな悪い人間だからこそ、阿弥陀仏は命をかけて必ず救うと誓われたのか。」と知らされる。だから、いよいよ私は救われると思って、聴聞に励まずにはおれなくなる。それが信じられないから、「どうせ頑張っても助からない」と仏法を聞くのを休もうと思うのです。
人間死んだら何一つ持ってゆくことはできない。この肉体さえも置いてゆかなければならない。でも、阿弥陀仏だけは最後までついてきて下さる。その阿弥陀仏のことがどうして信じられないか。信じていないから自分の中の悪が喜べないのです。この悪があるからこそ阿弥陀仏は命をかけて、そのまま救うと誓われた。もしこの悪がなかったら、自分で修行に励まないといけなかった。それがこの悪があるからこそ、阿弥陀様は“なお、かわいい”とより重い慈悲をかけられたのです。幸せなことではありませんか。悪があるからこそ、いよいよ間違いなく救われると思いませんか。こんな者を救う為に阿弥陀仏は命をかけて下さったのだと思うと嬉しくなりませんか。その阿弥陀仏の御心が聞きたいと聴聞に励むのです。
あなたが大事だから、かけがえのない人だから、阿弥陀仏は命をかけている。どうでもいい人だったら、命なんかかけません。
このことは信心数え歌にもこう教えられています。
四つとせ、よくよくお慈悲を聞いてみりゃ。助くる弥陀が手を下げて任せてくれよの仰せとはほんに今まで知らなんだ。
その阿弥陀仏の御心が分からないから、信じられないのです。人間の常識から見てしまうのです。そんな悲しいことはない。善知識が悲しまれることは、阿弥陀仏の救いを信じてもらえないことが、本当に残念なことだと悲しまれるのです。それ一つで私たちは苦しまなくてもいいのに苦しんでいる。闇の中で誰にも心の中を打ち明けることができず、こんな悪い人間なんか存在してはいけないのだと思っている。だから、こんな悲しいことはないと言われているのです。

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