他人を馬鹿にすることは恐ろしい

他人を馬鹿にすることは恐ろしい

他人を責めたら、自分が間違ったことをした時に自分が責められているように感じて苦しむ。

他人を馬鹿にしたら、自分が何か失敗をしたとき、今度は馬鹿にされているように感じて苦しむ。

ここで馬鹿にされて何故苦しむのかと言えば、自分はここに存在する価値のない、取るに足らない存在のよう感じるから。

私たちは、できるところに立って、相手を見下すと、今度は上手くできない時に見下されて苦しむ。

私は自覚は無かったけれど、できる所に立って他人を見下していた。だから、自分ができない時には、他人から見下されて自分なんか存在する価値のない人間ではないかと不安になった。できるところに立って、できない相手を見て、見下していたと反省します。そうやって、できて当たり前になっていて、相手の見ていなかったから、今度は自分の心の世界の中で、見下されているように感じて不安になった。こう考えると他人を馬鹿にするとは恐ろしい行為のように感じます。

では、なぜ私はできるところに立って、他人を見下してきたのか。それは本当の意味で自分に自信がなかったから。自信とは何か他人が真似ができないような事が出来るからつくものではない。そうやって付けた自信は他人が真似ができないようなことをしている間だけの見せかけの自信。本当の自信とは、誰にも真似ができないような事をしているから、つくものではなく、誰でも真似ができること。それを手を抜くことなく、続けてゆくからこそ身についてゆく。つまり、誰でもできることを続けてゆく。そうすることによって、本当の自信が身についてゆく。仏教は実践が大事。実践を通して、色んなことが知らされる。そうやって、知らされたことを自分のものにしてゆくことが本当の自信。本当の自信を身につけた人は他人を馬鹿にして見下すことは無くなる。馬鹿にするのは自分に自信がないから。何か一つでも教えられたことを続けてゆくことが、本当の自信につながる。私にはそれが欠けていたのだと反省します。これからは、謙虚になって、教えられたことを実践し、自分のものにしてゆきたいと思います。

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