寂しいのに孤独になろうとする。

幸せとは、今ある時間をどのように使うかで決まるように感じます。
どれだけお金があっても、どれだけ物に囲まれたとしても、それだけでは幸せにはなれない。
それらのものを使って、どのような時間を過ごすか、それが大事なんだと思います。
子どもを見ていて思うことですが、子どもはあれが欲しい、これが欲しいと物をねだる。
だから、仕方ないなあと言って、買ってあげたら子どもは幸せかと言えば、買ってくれたおもちゃで一人で遊んでいても、つまらない。一緒に遊んでくれる人がいなければ、子どもはどんなに珍しいおもちゃに囲まれても、楽しくはないのです。
それと同じように私たちもどんなに物に囲まれたとしても、自分と一緒に過ごしてくれる人がいなければ、楽しく過ごすことはできない。
でも、私たちって独りになると寂しいくせに、人と一緒にいる時は、欲に耽って、相手のことを見ていないことが多い。
この相手を見るということが大事な筈なのに、できている人が少ない。
それは小さい時に親が自分と一緒に過ごしてくれず、親に見てもらいたくて声をかけても、あっちに行ってなさいと断られたことが多かったからだと思います。
だから、寂しさを埋めるために欲に走った。あれが欲しい、これが欲しいと要求するのです。そうやって欲しいものが手に入ったら、親は自分の方を見てくれるのだと思ったからだと思います。
でも、どんなに欲しいものが手に入っても、親は私のことを見てくれない。だから、一人で遊ぶしかなかった。そして、いつしか一人で遊ぶことになれて、寂しさを誤魔化す為に欲に走るようになってしまったのだと思います。
誰もが自分のことを見てもらいたいのに、実際に見てくれる人がいても、欲に走っている為に大事にしない。
これでは自分を見てくれる人も自分から離れてゆき、自分を孤独にしてしまう。
子どもの時に如何に自分のことを見てくれる人がいたか。それによってその人の幸せは大きく変わってしまうようになるのだと思わずにおれません。

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