妙土広大超数限

妙土広大超数限 本願荘厳よりおこる 清浄大摂受に 稽首帰命せしむべし
阿弥陀仏の極楽浄土には数え切れない程のお徳がある。それは阿弥陀仏が清浄な心で清らかな世界を作りたいと日々努力を続けてゆかれてきたからである。じゃあ、そんな極楽浄土はどこにあるのか?それは阿弥陀仏に救われた人が自分のいる世界を阿弥陀仏の極楽浄土のような世界へと変えてゆかなければならないのてある。
私たちは阿弥陀仏に救われたならば、何もしなくても、そんな素晴らしい阿弥陀仏の極楽浄土へと往けると思っている。でも、実際は阿弥陀仏の救いとは、信心を頂くこと。信心とは、死んだら阿弥陀仏の極楽浄土へと往けるということを信じるという信心ではない。この世界をどんなに努力を続けていったとしても、清浄な世界へと変えてゆくぞという信心。だから、お経に説かれている世界を現実に作り出すのは、阿弥陀仏に救われた人がしてゆくことなのです。
こんなことを聞くと、そんな世界、とてもできないよと思うかも知れません。確かに信心のない人にはどんなに頑張っても無理なことだと思うかも知れません。でも、無理だと思っても諦めきれないのが信心なのです。幸せな世界にしたい。そこでみんなが幸せな気持ちで暮らして欲しい。それは簡単なことではないかも知れない。途方もない程の時間がかかることかも知れない。それでも、みんなが幸せに暮らせる世界にしたい。その為になら、私はどれだけでも努力をしてゆく。この無限の努力へと突き進ませる心こそ、阿弥陀仏から頂く心なのです。
だから、阿弥陀仏は素晴らしい阿弥陀仏に対して心から頭を下げて帰命せずにはおれないのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました