唯識から苦しみが生み出される

自分の見ている世界は、自分の心に映し出された世界。

だから、今目の前にあるものも自分の心のスクリーンに映し出される映像に過ぎない。

これが唯識の世界。

つまり、私たちは現実の世界を心のスクリーンに映し出して見ているのである。

ところが、私たちの末那識は心に映し出した映像に過ぎない世界を現実の世界だと思い込み、目の前の相手は自分だと関係ないと思って、様々な感情を起こしている。

しかし、相手は自分ではないと思って起こした感情も、その相手は自分の心に映し出した映像。

つまり、その感情をぶつけた相手は自分の心。

だから、自分に対して感情を起こしているのと同じであり、その起こした感情は、ちょうど天に向けて唾を吐くように自分へと返ってくる。

責めたら、誰かが責めているように感じるし、馬鹿にしたら、馬鹿にされているように感じる。

たとえ、そこに誰もいなくても、自分の心が責められているように感じるし、馬鹿にされているように感じる。

それは自分の心で起きているから、たとえ宇宙の果てに逃げたとしても、自分の起こした感情の報いから逃げることはできない。

ところが、私たちは自分に跳ね返ってきた感情を自分が起こしたものが返ってきたのだと思えないから、誰かが自分のことを責めているように感じて、責め返したり、馬鹿にされたと感じては腹を立てる。

そうやって、自分の蒔いた種まきは自分へと返り、そこからまた相手を攻撃する。責める、責められる連鎖から離れることができなくなるのである。

苦しみのすべては自分の心が生み出したものだと気付かない為に私たちは罪悪を繰り返し、その心はいつも苦しみの中にいるのである。

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