傷つけたいという心

こんにちは上田です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
害とは、相手を責めたり、馬鹿にすることによって傷つけたいと思う心です。例えば、この人は悪いことをしたから罰を与えないといけないと思ったり、自分が苦しい時、その苦しみを分かってもらいたくて、相手を傷つけたりすることを言います。
では、どうしてこのような相手を傷つけたいと思う心が起きて来るのでしょうか?それは、傷つけたいと思う気持ちの根底には、相手に対する甘えがあるからです。こんなことをしても、自分を許してくれるだろうか、こんな悪いことをする自分を受け入れて欲しいという気持ちから、少し仲良くなると相手を傷つけたいと思う心が吹き上がってくるのです。
しかし、何もないのに相手を傷つけることは出来ませんから、相手の悪い所を探して、そこを責めたり、馬鹿にするのです。
だから、傷つけたいと思う相手はその人のことが嫌いだから傷つけたいと思うのではなく、その人と仲良くなりたいと思うから傷つけたいのです。その自分の気持ちに気づかないとこんな感情が吹き上がって欲しくないから、わざと会わないようにしたり、自分を正当化する為にどんどんと相手を悪者にしてゆくのです。
この傷つけたいという心は無理やり感情を押さえつけてもなくなりません。智慧によって、自分の本当の気持ちに気付き、自分はただ相手に甘えたいだけなんだと分かって、素直に自分の気持ちを伝えてゆくことによって、この傷つけたいという心は消えてゆきます。
相手が悪いから傷つけたい訳ではないのです。自分のことを受け入れて欲しくて、でも、その気持ちを正直に伝えて、否定されて傷つくのが嫌だから、こんな悪いことをしても許してくれるだろうかと、石橋を叩くような気持ちで相手を傷つけるのです。
しかも、傷つけた相手から責められたくないので、自分を正当化する為に相手の悪い所を探しては責めるのです。
でも、そうやって相手を傷つければ、傷つけるほど、今度は自分は相手から責められるのではないかと思って、相手と壁を作って距離を開けようとしてしまいます。
だから、本心から言えば、仲良くなりたい一杯なのに、甘えたいという心が吹き上がって傷つけてしまうので、人が離れ、孤独で苦しまなければならないのです。
だから、そんな甘えを捨てて、傷つくかも知れないが自分から飛び込んでゆくことが大切です。それは傷つくことを恐れて、どんなに相手を傷つけて、こんな自分でも受け入れてくれるかと確認しても、自分から飛び込んでゆかなければ、相手と仲良くなることは出来ません。
このような人は、自分は何もしないで相手が変わってくれることを期待していますが、どんなに相手が仲良くしようと近づいてきてくれたとしても、自分が最後は変わらなければ、相手との心の距離は縮むことは出来ません。
自分は傷つくのを恐れて何もしないで、相手にはこんなに傷つけても自分のことを受け入れてくれるかと確認する。そんな虫がいいことを考えているのが傷つけたいという心です。

コメント

  1. teshi より:

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    相手を傷つける心は、実感として、瞬間的に湧いてきたり、意志とは関係なく湧き上がってきたりするものに思えます。だから、「自己防衛本能」だと言ってみたり、「制御不能な自分の性格の部分」だと考えてみたり、なんだかしょうがないものとして見過ごしてきたような気がします。見過ごしているから、的外れな理解のままに大人になったような感じです。
    大人になっても子どものときと同じような怒りや煩悶を、大した進歩もなく、抱えている気がします。

  2. soyokaze より:

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    コメントありがとうございました。
    相手を傷つけたくはないと思っても、頭で思っているようには他人に接することはできないものだと痛感します。
    日々精進ですね。

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