驕りの心

次は驕。驕とは驕りの心。
驕りとは、過去何かしらの劣等感を抱えていた人が努力して才能を身に付けたり、肉体を鍛えたりすることによって、自分に自信をつけることを言います。
普通、このようなことで自信をつけることは良いことだと思われていますが、そうやって自信をつけることによって無意識のうちに肉体を鍛えた人ならば、身体の弱い人、また、才能がある人ならば、才能がなく努力もしない人、美しさに自信がある人は醜い人に対して、無意識のうちに馬鹿にして相手も自分と同じようになったらいいと、それがまるで良いことのように勧めるのです。
しかし、勧められた相手は今までの自分を否定されたように感じて、傷つきます。
このように驕りとは、劣等感を無くす為に、何かに価値を置いて、それを努力して身につけ、自信をつけることによって、無意識のうちに、今までの自信のなかった自分を馬鹿にし、その自分と同じような人を馬鹿にする心です。
だから、驕りのある人は、自分の知らない所で、まわりの人を傷つけ、自信を奪っているのです。また、どんなに何かを身につけ自信をつけたとしても、自分の中には、依然として劣等感を抱えた弱い自分がいるので、例えば肉体に自信がある人ならば、歳を取って自分の自信の源である鍛えられた肉体を失うと、今までの自信を失い、また、元の弱い自分に戻ってしまいます。
しかも、今まで自信のある時に心の中で身体の貧弱な人を馬鹿にしてきた分だけ、身体の弱い今の自分が惨めで、こんな自分なんて見られたくないと独りになろうとしてしまうのです。
劣等感を感じなくするために何か価値のあるものを身につけて自信をつけたって、根本的な解決にはなりません。自信のなかった弱い頃の自分を否定するのではなく、何故その時ありのままの自分を認めることが出来なかったのかと、自分の心を見つめ、その原因を明らかにして取り除かない限り、自分の中にある劣等感は消えることがないのてす。これが驕です。

コメント

  1. teshi より:

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    自信のなさを認めるのは、敗北感が大きいですよね。愕然とするくらいの敗北感もありえると思います。でも、結果的に、実りは大きいはずだと感じます。そこのところは真面目に考えて、実りの大きい方の路線を選んでいきたいです。

  2. soyokaze より:

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    コメントありがとうございます。
    人生如何に現実を受け入れるかだと思います。
    苦しみの幸せになる為の心の肥やしにしてゆきたいですね。

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