三願転入

こんにちは上田です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
仏教の言葉に
因浄なるがゆえに果浄なり
とある。
これは浄らかな心が因となって浄らかな世界へ往くという結果が得られる、
という意味である。
つまり、私の心に煩悩に染まらない浄らかな心が起きなければ
浄らかな世界に往くことはできない。
ところが、私たちの心は煩悩に染まった汚れた心しかない。
汚れた心が往きたいと想像しているところは
煩悩に汚れた世界以外にはない。
いかにして汚れた世界にしか往きたいと思わない私たちに
浄らかな世界に往きたいという気持ちを起こさせるか?
それが阿弥陀仏が一番苦労されたところであり、
その答えが三願転入。
煩悩に汚れた心で往きたいと思うのは
懈慢界。
早く楽になりたいと思う懈怠と上に立ちたいと思う驕慢の心を満たしてくれる世界。
その化土を求める心を入口として、
煩悩を離れた浄らかな世界に出たいという気持ちを起こされるのが、
阿弥陀仏のねらい。
化土を否定している人は自分が化土にしか往きたいと思っていないことに気づいていない人。
自分が死んだあと浄土にゆけると思っている人は因がないのに結果が得られると信じている因果の道理を知らない人。
化土にゆきたいと願うものは多く。
報土へゆきたいと願うものは少ない。
時代を越えた真理かなと思いました。


さいおさんの試験お疲れパーティー

コメント

タイトルとURLをコピーしました