貪りの心

仏教では貪りの心を煩悩と言われる。煩悩とは、現実を歪めて見ている為に、真実が分からず、間違ったものを追い求めたり、間違った物の見方をしていることを言います。

例えば、世の中では、金さえあれば幸せになれると思って、金を求めている人がたくさんあります。金があれば好きなものが買えるし、自分の思い通りに人を動かすことができる。また、今まで自分のことを馬鹿にしてきた人も自分の見方が変わり、自分のことを大事にしてくれる。

だから、金さえあれば、人生が変わると思っている人は、金に対して、物凄く執着します。これが貪りの心です。

しかし、この人は、大きな間違いをしています。それは、この人は自分はお金があったら幸せになれると思っていると勘違いしていることです。本当は、お金があることが幸せではなく、お金を失うことに対する不安からお金を求めているのです。その為、この人は、必要以上にお金の存在を大きく見ている。それでお金を手に入れて安心したいと思って、お金を求め続けているのです。

多くの場合、このように何かに執着して、必要以上に貪る人の心には、不安があります。それは自分が手にしたものを失うことに対する不安。

今は人は、自分に対して優しいけど、いつ自分を裏切って自分から離れてしまうか分からないと思ったならば、その人は人と一緒にいることが不安になります。不安だから、自分から離れて欲しくない。その気持ちから自分に価値があったら、自分の元から人は離れないで済むと思うのです。

そこで人が求めているものを自分も欲しくなる。それが例えばお金であるかも知れないし、財産かも知れない。地位や名誉、権力を求める人もあるでしょう。そして、そういうものを手に入れたならば、自分は価値のある人間と思えるし、まわりの人も自分を価値のある人間だと思って見てくれるのではないかと思う。このような心から、価値のあるものに執着し、自分のものにしようと思う心。それが貪りの心なのです。

しかし、その根底には、不安がある。それは自分が小さい時に強烈に不安を植え付けられた人ほど、その不安を誤魔化す為に何かに執着し、貪らずにはおれない。だから、この貪りから離れる為には、自分の心の奥底にある不安から離れなくてはならない。

ては、この不安とは何か。それは自分の存在を否定されるのではないかという不安。例えば、小さい時にお金がなくて、自分のやりたいこともできずに我慢してきた人は、お金というものによって、自分の存在が否定されてきたように感じることでしょう。

その人にとって、心の中にあることは、お金さえあれば、自分の好きなことができるのに、という思い。この思いからお金に対する執着が生まれ、必要以上にお金を求めるようになるのです。

そして、お金を必死に求めて、自分の欲しいものを買う。でも、心の中にある不安はそうすることによって、消えるものではないから、どれたけお金を稼いでも、心が満たされることなく、果てしなくお金を求め続ける。これらすべて心の中にある不安が生み出す貪りという心なのです。

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