阿頼耶識とは何か。
阿頼耶識とは仏教で教えられる私たちの本当の魂。この阿頼耶とはアラヤと読み、蔵という意味。識とは心という意味なので、阿頼耶識で蔵のような心という意味。
では、蔵とは何かを収めておく所。普通は蔵と言えば、大事な物を収めておく為にあるもの。それでは、阿頼耶識には何が収まっているのか。
それは私たちの過去にやった行いが業となって収まっています。
私たちはこの業がある為に過去に縛られる。例えば、嫌なことから逃げてばかりいた人は、どんなに一念発起して嫌なことから逃げないぞと思っても、実際に嫌なことがあると、心の中で猛烈に逃げたいという感情が起きてきます。
これを仏教で業の力と書いて業力と言います。私たちはこの業力がある為に今を自由に振る舞うことができずに過去に縛られて生きなければならないのです。
では、なぜ私たちは過去に縛られるのか。
それは私たちの魂は変わらない自分(我)を求めているからです。私たちの本質は肉体ではなく魂。この魂は自分は例えば嫌なことがあったら逃げるものだという我を持っていたとしたら、どんなに頭で嫌なことから逃げてはならないと思っていても、実際に嫌なことがあると逃げよう逃げようと感情が吹き上がるのです。
だから、どんなに何かを学んで頭でこうしようと思っても、その場で自分が変わることはありません。
自分を変えるには、大きく自分を変えようとはせず、些細なことでいいから、今までやっていなかったことをやることが大切です。
そして、その種まきを続けてゆくことで、自分の習慣が変わり、少しずつ自分を変えてゆくことができるのです。
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