あわれというもなかなか愚かなり

多くの人は、様々なものに我をつけて自分のものにして我を拡大してゆくことが人生だと思っている。

でも、どんなに我を拡大しても、死んでゆく時には何一つ持ってゆくことはできない。

必死になってお金を手に入れ、財産をかき集め、家を建て、地位や名誉を手に入れたとしても、すべて置いて、丸裸になって死んでゆかなければならない。

みんないつか自分も死んでゆかなければならないと思いながら、本当に自分が死ぬと誰も思っていないから、必死になって死んで置いてゆかなければならないものばかり、かき集めている。だが、いざ自分が死んでゆかなければならないと分かると、自分の人生を振り返って、“俺は一体何をしていたのだろう”と後悔の涙を流す。蓮如上人が白骨の章で“あわれというもなかなか愚かなり”と言われるのも、私たちが必死になってかき集めたものをすべて置いて死んでゆかなければならないことがあわれであり、それは先を見る智慧がないところから起きる愚かさから来るものなのだと思いました。

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