諸法無我

仏教の教えに諸法無我という教えがある。
この諸法とは、私の見ている世界のこと。
私の見ている世界は現実の世界のように思っているが、真実は現実の世界を肉体の目で見て、それを心のスクリーンに映し出して見ている。
だから、私の見ている世界とは、心のスクリーンに映し出した映像の世界。
目の前にお金があったとしても、そのお金が存在しているのは、心の外の現実の世界。私の見ている世界には、お金は映像として映し出しているだけで、現実のお金は存在しない。
だから、現実世界に存在しているあらゆるものは、私の見ている世界では、スクリーンに映し出された映像に過ぎず、私の見ている世界では存在していないので、無我と言われる。
つまり、諸法無我とは、私の見ている世界には現実世界のあらゆるものは心のスクリーンに映し出された映像であり、存在していないのだということが諸法無我ということなのです。
では、私の見ている世界では存在しないとはどういうことか?
それは現実世界でどれだけお金を手に入れたとしても、地位や名誉、財産を獲たとしても、それは私の見ている世界では存在しないので、それがどんなにあったとしても、私は幸せになることはできないし、苦しみが楽になることもない。
しかし、私たちはお金を手に入れることで幸せになれると思っているので、必死になって求める。でも、どんなにお金を手に入れたとしても、真実から言ったら、私の見ている世界には存在していないので、お金を手に入れることで、私の心が楽になることはないのです。
私たちはこの真理を知らないから、お金を手に入れたら幸せになれると思っているが、この真理を知ってしまったら、自分の人生を犠牲にしてまで、お金を求めようと思う心はなくなるのです。
この諸法無我が分かると、人生に対するあらゆる価値観が変わります。
今まで問題にしてきたものも、どうでも良くなり、これから人生をどう生きてゆこうか考えるようになります。
そして、幸せも苦しみもすべて心から生み出されると知らされるので、現実世界を問題にするよりも、自分の心を見つめ、心の中にある不安や恐れ、苦しみに目を向けるようになってゆきます。
これが諸法無我ということなのです。

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