こんにちは上田です。
最近、恐ろしいなあと思うことに
「自覚なしに相手を傷つけていること」があります。
自分では相手を傷つけないようにと心がけてはいるのですが、
ふとしたことで、相手が傷ついていることがあるように思います。
でも、相手はなかなか言ってはくれないんですね。
だって、それで人間関係が悪くなったらいけないから。
だから、言わずに心にためておく。
でも、当の私は気づいてないから、また、やってしまう。
そして、何回もくり返してしまう。
その間、相手は何度も私からの苦痛に耐えているんですよね。
しかも、気づいていないから、その人の前で平気に笑っておれるん
です。
そんな笑顔を見てしまったら、相手は思いますよね。
「何で俺がこんなに苦しい目にあっているのに、笑えるんだ」って
そうやって、あるとき爆発するんです。
爆発された私は全然、覚えていないから、びっくりしますよね。
でも、やっぱり自分が悪いんです。
気づいてあげられなかった自分が悪い。そう思って反省してゆく
ことが大事かなって思います。
知らないってことは怖ろしいですね。
コメント
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知らないうちに人を傷つけるということは
誰しも経験していることです。
傷つけられる側もね。
でもそれが世の常でありそこから人は成長していくものだと思います。
許し許されることも必然的に学習していきます。
そうやって徐々に思いやりの心が育ちます。
だから人間は面白いのね。
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でも・・・ちょっとした表情とかにやっぱり表れてると想う・・・
なるべく気づいてあげたいといつも想ってます・・・
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知らないことが恐ろしいというよりは、
気付かないことが恐ろしいをいうべきでしょうか?
「ふつうは気付くよ?」と思われているかもしれません
大体の人は少なからず鈍感な面があります。
そのなかでも許される人、許されない人の差別があるのは、なにに依るのでしょう。
相手の気持ちに気付く人が好かれ、気付かない人が嫌われるというのでは十分
ではないでしょう。世界のほとんどは相手の気持ちを見落とす人ばかりです。
わたしは、好かれる人とは、謝る気持ちをもっているひとだと感じます。
上田さんは、人の気持ちに気付ける人間を目指すよりは、まず、自分はひとを傷つける
、という自覚をもつのが先ではないかと思います。
もう一つ言わせて頂けば、文中にある、
「自覚なしに相手を傷つけていること」や「ふとしたことで、相手が傷ついていること」
というのは正確ではないでしょう。
それが「ふと」したことだったら、それには心を傷つける重みなどありません。
相手の人間性の奥から感じるものだからこそ、忘れられない傷を負わされるのです。
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こんにちは^^スペーストミーです。
所詮、人というのは、考え方が人それぞれで当たり前・・・・・
一人一人にそれそうとうの対応を迫られても・・・とっても難しいかも・・・しれませんよね!
でも、出来ないからといってあきらめては、
やはり人と接することが出来なくなって・・・・
結局は、逃げることになり・・・・
ひどければ、世捨て人になってしまうと思います。
そう言う意味では、適当な距離間を持って人と接することをトミーは薦めます。
トミーはいつもどうしてもそりの合わない人とは、距離を置いて接するよう心がけます。
人と人の間にいいだの悪いだのと考えるよりも
その人の癖や考え方を理解してから、
気分の良さそうなときに声をかけるとか・・・・
そのような接し方がベストといえそうですが・・・・参考になりましたでしょうか?[絵文字:v-410]
[色:0000FF]人の付き合い方にいいも悪いもない
様は、その人の事をどれだけ理解してあげる気持ちがあるか無いかだけ・・・
愛されたいと思う前に愛すること・・・・
そして、距離を持つこと
ずっと一緒じゃ・・・さすがにきついよね!
自分も相手も・・・・・
最後は、やはり「感謝の念」で
それで、すべてがうまくいくはず・・・・・
なぜなら、感謝の気持ちに驕り(おごり)は、無いからです。[/色]
では、また遊びに来て下さいね!^^