自分自身のことを見捨てない

なぜ私たちは相手から嫌なことをされた時に相手のことを見捨てようと思うのか。

例えば、相手から上から目線でものを言われた時、こんなことを言われるのなら、もうこの人と関わり合いを持ちたくないと思ってしまう。

上から目線とは、自分は分かっている所に立って相手を非難すること。上から目線の人から見たら、自分は正しい所に立っているのだから、自分が悪いとは思わない。だから、こんなことも分からないのか、という気持ちで相手を非難してしまう。

言われた側は、こんなことも出来ていないのかと言われているようなもの。でも、言われた張本人から見たら、自分だって一生懸命頑張っている。それなのにまるで何も分かっていないかのように非難してくるなんて酷いと思ってしまう。

この時、非難されたと感じた人は、もうこの人なんていいと人間関係を断ち切ろうと思う心が起きてくる。どうして起きてくるのか。それはその相手を見捨てるように、自分のことを簡単に見捨てているからである。私たちは他人から自分の存在をゴミのように扱われた時、相手を見捨てようと思ってしまう。それは相手を見捨てることで、相手が自分の存在を軽く見ているという現実を見なくて済むから。だから、相手の存在が自分にとって都合が悪くなると簡単に見捨ててしまう。でも、そうやって見捨てるのは、どこかで自分の存在をゴミのように扱われて、捨てられるだけのものだということを感じているから。だけど、そんなゴミのように見捨てられるような存在だと自分のことを思いたくはないから。目の前の人を見捨てることによって、この見捨てられる存在という現実から目を逸らそうとしている。でも、そうやって見捨てられる存在かも知れないという現実から目を逸らしていても、自分は見捨てられるのではないかという不安は消えることはない。自分は相手からゴミのように扱われたと感じたのは、自分の唯識。自分が自分自身のことを見捨てられても当然のものだと思うからこそ、ちょっとの縁で自分は見捨てられるのではないかと感じてしまう。

自分を変えたいと思ったならば、こんな相手だから、見捨てたいという気持ちが起きたとしても、見捨てない。そうすることによって、自分は見捨てられない存在だという気持ちが持てるようになって、自分に自信がついてくるのです。

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