煩悩即菩提

煩悩即菩提とは何か?

ここで煩悩即菩提の煩悩とは誰かの苦しみを抜いて幸せにしてあげたいと思うから、煩悩が吹き上がる。だから、誰かを幸せにしてあげたいと思う心もないのに起きた煩悩は、煩悩即菩提にはならない。誰かを幸せにしてあげたいと思って相手と向き合った時、自分がこんなに一生懸命やっているのに、相手がその自分の気持ちを分かってもらえず、自分は暖かい気持ちを送っているのに、冷たい気持ちで返されると、自分はこんなにも頑張っているのにどうして相手は分かってくれないのだろう、こんなことなら、この人の為に頑張るのじゃなかった。と目の前の人を投げ出して、こんな人のために頑張ることなんて、もうしないという怒りの心が吹き上がってきます。そして、嫌なことから逃げて欲に逃げると、嫌なことから逃げたいという心はますます強くなり、ますます欲に流れるようになる。これが煩悩。だから、ここでいう煩悩というのは、目の前の相手を大事に思うことができず、欲や怒りに逃げること。それが煩悩なのです。ここでこの煩悩の根底にある心はこんなに私は頑張っているのに、どうして分かってくれないのか。分かってくれない相手の方が悪いという心があります。つまり、相手は悪い奴だから、こんな悪い奴は苦しんでも当たり前だし、見捨てられても当然。と悪い奴には罰を与えなければならないという心が根底にあります。そして、私はこんな自分の気持ちも分かってくれない奴の為に苦しんでいる。どうしてこんなものの為に私は苦しまなければならないのだろうという心から、この人を見捨てたいという心が起きて来るのです。

だけど、真理の光に照らされている人は、そうやって他人を見捨てることは自分を見捨てることであり、自分を見捨てたら、苦しむだけだということを心の奥底で分かっているので、こんなに嫌ならば、こんなに苦しいのなら、見捨てたいという心が起きても、それでも自分を見捨てることは出来ないように、この人も見捨てることは出来ないと相手に向かうのです。これが煩悩即菩提です。

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