罪悪を抱えているから無常が恐ろしい
私たちは何かに我をつけることによって、それは無意識のうちに自分だと思って安心する。
そして、いつか自分はこの世からいなくなっても、自分の我のつけたものは無くならないから、自分はこの世に生きた証は残ると思って安心しようとする。
でも、どこかで自分の存在が無くなってしまうのではないかという不安があるから、自分の身の回りの無常を認められない。
それは自分の我のつけたものに無常が来ることで、自分にも無常がやってくるのではないかと不安だからだ。
でも、本当に恐れていることは無常がやってくることではない。無常がやってくることで、自分が今まで犯してきた罪悪が見えるのが怖いのだ。
人は他人に対して平気で酷いことをする。それは口には出していなくても、体で行っていなくても、心の中で思っている。
でも、それを相手が知ったならば、どんなにか傷つくか自覚していない。
いや、自分がそんな酷いことを思っていることすら見ようとはしない。
それでいて、自分は何も悪いことなんかしていないと思っている。それが私たち。
その心で思ってきた罪悪の数々が我が身の無常を縁に刃を向けて襲ってくる。それが心のどこかで知っているから、罪悪を抱えている人ほど無常が恐ろしいのです。
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