多くの人は欲を満たすことは幸せだと思っている。
でも、仏教から言ったならば、その幸せとは心を穢すことによる快感。心を穢すとは、心を傷つけて痛みを感じること。
心が痛いからこそ、自分はここに存在していると猛烈に感じて楽しくなる。
時間があったら欲を満たすことしか考えない人は、それだけ自分を見てもらえずに育った人。自分はここに存在しながら、自分が存在しながら、存在しているように感じないから、自分の心を傷つける。
傷つけると、心臓はドキドキして、ここに自分は存在していると猛烈に感じる。だから、自分が生きているかどうか実感できない人ほど、欲に流れることは楽しい。
でも、欲に流れることは、心を傷つけていることだから、心の中にゴミが溜まる。
ゴミが溜まると苦しくなる。
だから、楽になりたい一心で吐き出す。そうすると、苦しみが一気になくなって楽になる。これも快感。だから、ゴミが溜まれば溜まるほど、ちょっとのことで吐き出したくなる。これが怒り。怒る人は、怒りによって心が楽になることを知っている。だから、穢れというゴミが溜まって苦しくなると、相手のことが悪く見えて、ちょっとのことで怒りを起こし相手を責める。
人間って心を穢して楽しみ。穢れを吐き出して楽しむ存在。穢れから離れた幸せを知らない。
それどころか、自分を苦しめる穢れが楽しみだと思っている。だから、みんな自ら穢れ、穢れを押しつけあって苦しんでいる。
これが世の中の人たちの姿。だから、欲と怒りが消えないのですね。
そう思うと人は何のために生きているのかと思わずにはおれません。
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