浄土とはどこにあるのか?
浄土真宗の門徒は人は死んだら阿弥陀仏のお力によって極楽に往けると信じているが、私は浄土とはどこかにある世界のことではなく、自分の心によって生み出された世界のことだと思います。
人は幸せになりたければ、自分のまわりの人を幸せにしてあげなければならない。それは幸せとは自分を取り巻く環境によって感じるものであり、自分だけで幸せになることはできないからである。
では、どうしたら自分のいる環境を浄土に変えてゆくことができるだろうか。その為には自分に集まった人たちの心を幸せに変えてゆくこと。具体的には自分のまわりにいる人たちの心を人を思いやる温かい心に変えてゆくことが大切である。温かい心に変えるとはどういうことか。それはその人に接する時に温かい心で接してあげること。そうすることで相手の心が温かくなる。でも、実際は温かい心で接したからと言って、相手が温かい心を返してくれる訳ではない。それはその人が育った環境が深く関係しているからだ。心が温かい人というのは、温かい環境で育ってきた人。その人は自分の心が温かいだけでなく、相手の心も温かくすることができる。そして、幸せな世界を生み出してゆくことができる。それに対して、自分のことを相手にしてもらえない冷たい環境に育った人の心は冷たくなる。だから、温かい心に触れたからと言って、すぐに自分の心が温かくなる訳ではないし、温かい心を返してあげられる訳ではない。そういう人には時間をかけて心を温めてあげなければならない。それはにわとりが玉子を温めて、ひよこが孵化するようなもの。相手の心を温めると、だんだんと相手の心が育ってくる。その時に相手は色々な反応をしてくる。時にはイライラしてみたり、時には一人になりたいと飛び出してみたり、時には好きなことをやりたいと言い始めたり、自分の中に溜まっていた負の感情を吐き出してくる。多くの人はこれが嫌だから、感情を吐き出させないように封じ込めようとする。でも、封じ込められてしまうと、その人は感情を吐き出してはいけないのだと思い、どうせ自分のことなんか誰も認めてはくれないのだと他人に対する深い不信感へと変わってしまう。この不信感ができた人は人を信じることができない。リラックスする為には一人になろうとする。ところが一人になると寂しいので、寂しさを紛らわす為に誰かにちょっかいを出す。そうやって、少し楽になるとまた一人になろうとする。これを繰り返す。結局は一人で心の中にはいつも寂しさが満たされる。寂しいから結婚しても、一緒にいることが苦しくて一人になろうとするし、やっぱり一人だと寂しいので子供の所へ行くが、子供に合わせることができず、やっぱり一人になる。まさに氷の地獄と火の地獄。
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