浄土はどこにあるか2

氷の地獄にいる間は心は冷えて寂しいから火の地獄に行こうとするし、火の地獄にいると欲に流れて好きなことができないから氷の地獄に行こうとする。このようになってしまうと幸せな世界を作ることができず、いつも心は苦しみながら何かを求め続けることになる。では、こういう人の心をどうしたら幸せに変えてゆくことができるか。それはまずただそばにいてあげたらいい。相手は誰かがそばにいる環境で好きなだけ欲に流れたいだけ。でも、一人ぼっちの環境で欲に流れても寂しいだけ。だから、誰かに見守って欲しい。見守ってもらっている時にちょっかいを出されると好きなことをすることはできない。だから、一人になりたいと思う。一人が楽だから、一人になりたいと人のいる環境から離れて一人になろうとする。でも、その人が本当に求めているものは一人の環境ではなく、誰かが自分のそばで見守ってくれる環境。その環境の中で、いつも自分のことを見守られながら、自分の好きなことがしたいと思っている。そうやって、自分の好きなことができるようになると、自分のことを見守ってくれる人に話を聞いてもらいたいと思うようになる。そして、聞いてもらえるようになると、自分の感情を吐き出して受け止めてもらおうとする。それは寂しさという形になるかも知れないし、また、怒りという形になるかも知れない。また、悲しみという形になるときもある。そうやって自分の感情を受け止めてあげることによって、相手の心は少しずつ楽になってゆく。そうやって、自分と一緒にいる環境に安らぎを求めるようになる。これが浄土。浄土とはどこかにある世界のことではない。その人と一緒にいることによって安らぎが味わえるような世界。それは誰かが作ってくれなければ、味わうことができない。そんな世界を自ら作ろうと思う人。それが仏になりたいと求める人なのです。

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