我は現実を誤魔化す為の手段

人間は肉体をもつことで自分の存在を確認します。そして、何かを直接見たくないから肉体を持つのです。
私たちは我という殻を作って心を守っています。肉体も我の一つです。この肉体は私なんだと定義づけることで、ひとつ安心することができます。
そこで、何を見たくないのかというと、自分のやったことの結果、つまり報いです。
私たちのやった行いは報いとなって現実には返ってきているのですが、我に執着している間は見えていません。しかし、あまり我が薄いと現実が見えてきそうなので、「これが私だ」という幻想のイメージ(我)に執着し、物ををかき集めることによって我を分厚くし、現実を見ないようにするのです。
しかしホッとした時や物事が片付いたあとなど、心に余裕が出来ると待ちかまえていたかのようにショックなことや悲しいことが起きたりします。それは、ホッとしたとき、この我が一時的に薄くなって現実が見えたからです。そして、現実を受け入れるだけの安心感が生まれたからこそ、ショックや悲しみを感じることができたのです。 
本当はいつ報いがきてもおかしくなかったのですが、ちゃんと受け止められる心の準備が出来てはじめて結果が返ってくるのです。
そしてそれは紛れもなく過去に自分が他人に対して向けていた感情であり、それがそのまま跳ね返って来てしまうのです。
何か言われたわけではないのに周り中から責められているような気がする。それは他人の失敗を責めてきたから。こんなことも出来ないのかと、周りの人から笑ってバカにされている気がする。それはいつも他人を見下し、人が失敗するのを喜んでいたから。
返ってくるとは知りもせず、他人を心の中で責めたり馬鹿にしたり、散々やってきたのです。でも、私たちの心は、薄々この報いが返ってくる気配を感じているのです。なのでこの結果が返ってくるのを見たくないから、肩書きや物を手に入れることで我の壁を厚くし、現実から目をそらして生きているのです。

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