四智1(大円鏡智)

この四智とは唯識を体得することによって、阿頼耶識が大円鏡智に、末那識が平等性智に、意識が妙観察智に、そして、五感の働きが成所作智へと変わります。まず、最初の阿頼耶識が大円鏡智に変わるとは、この阿頼耶識とは、自分が何者か分からない不安から、自分を作り出そうと自分自分と自分の行いを溜め込み、それによって、自分が見ている唯識の世界を生み出すので、私たちは世界を通して、いつも自分とは何者かを見ているのです。例えば、誰かから責められて苦しんでいる人ならば、その責めている人は自分の姿であり、自分が他人を責めているから、責められているのではないかという不安が起こり、相手のちょっとした言動でも責められているように感じるのです。また、馬鹿にされて嫌だと思っている人ならば、それは馬鹿にしている相手とは唯識に映った自分の姿であり、自分が誰かを馬鹿にしているから、馬鹿にされているのではないかという不安が生まれ、相手のちょっとした言動でも馬鹿にされているように感じるのです。これが阿頼耶識によって生み出される唯識の
世界です。私たちは阿頼耶識がある為に、世界をありのままに見ることができず、世界を通していつも自分の姿を見ているのです。それが仏性に照らされて、自分が知らされてゆくと、段々と自分に執着する心から離れてゆき、世界をありのままに見る事ができるようになります。これが大円鏡智です。大円鏡智とは、静かな清らかな水が鏡のように世界を映し出すように、静かな清らかな心の人は世界をありのままに見る事ができるのです。

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