感情を受け止めてもらう

なぜ私たちは心の中に穢れが溜まっていくのか?

穢れとは多くは悲しみ。

悲しみとは、自分の感情を無視することによって溜まる。

例えば、自分が相手と仲良くしたいと思っているのに、相手が自分のことを避けると悲しくなる。

この時、こんなことがあって悲しかったと言って、近くにいる人に自分の感情を受け止めてもらったならば、心は軽くなる。

でも、私たちは自分の感情を受け止めてもらうことよりも、こんな悲しい気持ちにした相手に目が向く。

そして、相手がこんな事さえしなければ、私はこんな悲しい気持ちにはならなかったのに、と思ってしまう。

しかし、それこそ、自分の感情を無視することになる。

感情からしてみれば、そんな悲しいことをした相手を問題にして、もう二度と同じことをしないようにしてもらうことよりも、自分の悲しいという感情を受け止めてもらいたいと思っている。

確かに、こんなことさえなかったならば、自分は平常心を崩すこともなかった訳だから、自分の我を崩した相手に目が向くのは仕方のないこと。

でも、そうやって、どんなに相手を問題にしても、無常の縁は無量。

自分の我を崩すような縁はいくらでもやってくるもの。

だから、我を崩した相手を問題にするのではなく、感情が崩れた時に吹き上がる悲しみを受け止めてもらう。

それだけで自分の感情はずっと楽になる。

悲しい時、誰かを責めても仕方ない。

それよりも悲しいという感情を誰かに受け止めてもらうこと。

それが何よりも大切なことなのですね。

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