愚痴ってなんだろう。私たちは自分の気持ちを分かってくれる人がいると、その人に向かって心を向ける。その時、相手が自分の存在に気付いて自分の方を向いてくれると心は楽になるが、自分の存在に気付いてくれないと心は寂しくなる。まるで自分の中にあるものが相手に向けられて飛び出し、それが相手を通して自分に返ってくるようなもの。私たちはいつも存在価値を確認しながら生きている。自分はここに存在しているんだ。ここで生きているんだ。それを誰かに見てもらいたくて生きているようなもの。
心が安定している人というのは、自分から発したものが常に誰かに受け止めてもらい、自分の元へと返ってきている人。
それが相手に見てもらいたいと思っているのに、誰も見てもらえないと自分の心の中に愚痴が溜まってゆく。それは自分は存在していないのではないかという不安。この不安を話すことで外へと吐き出す。そして、聞いた相手は話を聞くことを通して、相手の不安を受け取る。だから、愚痴を聞いた人は愚痴を吐き出したくなる。
よくお酒が楽しいという人がいる。それはお酒が楽しいのではなくて、お酒を飲むことで自分の感情を吐き出すことができるから楽しい。でも、どんなにお酒を飲んで自分の感情を吐き出したとしても、それを誰かに受け止めてもらわないと、回り回って自分の所へと戻ってくる。だから、お酒を飲んだ時は楽しいのに、それが家に帰ると何か苦しくなって、またお酒を飲みたくなる。
愚痴は誰も認めてくれないのに頑張ったり、一人でいると溜まる。もし私たちという存在が肉体だけだとしたら愚痴が溜まるということはない。私たちの肉体の中には、魂が存在する。その魂の中に溜まるものが愚痴。
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