心が穏やかになるとは

こんにちは上田です。
いつも読んで頂きありがとうございます。
『軽安とは』
安とは何かと言いますと、他人を責めることや馬鹿にすることがなく、それによって他人から責められているのではないかと感じて、ビクビクしたり、馬鹿にされているのではないかと感じて腹を立てることがなくなり、心が自由になることを言います。
私たちは悪いことをしている人を見て、その悪を責めると、責めたことによって、自分もそんな悪いことはしてはいけないと思って、自分自身が自分の造った罪悪によって縛られます。そうやって、罪悪によって縛られている人が自由に行動している人を見ると、自分だけ罪悪で縛られて苦しんでいるのに、あいつだけ何で自由に行動できるのだと怒りの心が起きて、その人を責めて、罪悪によって縛ろうとします。こうやって他人を責めることによって、自分はさらに罪悪によって縛られ、責められたくないという気持ちから、ますます自分の中の正義に従って行動するようになります。つまり、責めれば責めるほど、自分の生み出した罪悪に雁字搦めになって、自由を奪われ、いつも正義に従って行動しなければならなくなります。そして、自分の生み出した正義に従うことが出来ない時は、他人に向いていた正義の刃が自分に向けられ、心を切り刻み苦しむのです。
私たちは何か嫌なことがあるから苦しむのではありません。何も無かったとしても、他人を責めたり、馬鹿にすると、自分の生み出した罪悪によって自分が縛られ、責められないように、嫌でも正義に従ったり、また、馬鹿にされないように疲れていても動き続けてしまうのです。そして、自分の中で理想がどんどんと高くなり、ハードルが高すぎて正義に従うことが出来なくなると、正義の刃が常に自分の心を切り刻み、常に責められているように感じて、何事も完璧でなければ不安になってゆくのです。もちろん、完璧に行動することなんて不可能ですから、出来ない自分が見せられる度に誰かを責めて、自分は出来ている所に立とうとしてしまうのです。
このようになってしまうと、責められない為に常に動き続け、止まると誰かを責め、責めた後は自分はなんて醜い人間なんだと落ち込む、その悪循環を繰り返してゆくのです。この自分を苦しめる罪悪を取り除き、心を軽くすることが安なのです。

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