寂しいからこそ相手のそばにいてあげる

人間って不思議なもので、他人にも愛欲があると思って、相手の存在を見てあげようとすればするほど、つくづく自分は愛欲の塊なんだと知らされる。
相手を見てあげているつもりなのに、心の中では、相手に自分の存在を見て欲しいと思っている。特にそばにいるのに、相手が自分の存在を無視して、そばにいる人と楽しく話しているだけで、心の中では自分はここにいるのにと叫んでいる。この愛欲を無視して私たちは生きてゆくことはできない。だからこそ、自分にも愛欲があるように自分のまわりの人たちも愛欲があるのだと思うのが仏法。
だから、自分が寂しい思いをしていたならば、自分が味わった寂しさを相手にはさせないようにそばにいてあげる。たとえ相手が自分のことを無視していたとしても、自分は相手のそばにいてあげる。そしたら、もっと自分の愛欲が見えてくる。独りにされると寂しいという気持ちになる。
でも、そんな時も相手に寂しい思いにさせないようにそばにいる。そうすることで、相手を一人にさせないだけでなく、自分も一人にならないようになる。相手を一人にさせないやうにそばにいることで、自分も一人にさせなくなるのですね。

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