嫌いとは

正しいことには従わないと思っている人ほど、その正義で理不尽に責められた時には、その相手のことを嫌いになる。

嫌いになるとは、相手を排除する心。自分が見えない正義に縛られて、自分の感情を抑えて我慢しなければならないから、相手なんていなくなれば、自分の心は楽になれると思って相手のことが嫌いになる。

つまり、その人が正義を振りかざして、自分のことを責めている限り、自分はいつまでも悪者となる。

そして、悪い人は正しい人に従わないといけないと思っているから、自分の感情がどんなに嫌でも、自分の感情を抑えて無理やり従わないといけないと思ってしまう。

その為、感情が反発して、こんな思いになるぐらいなら、相手がいない方がいい。相手さえいなければ自分の心は楽なのにと思い、嫌いになる。

嫌いとは、相手の存在がいなくなれば、自分の心は楽になれると思う心。

でも、その心は自分にも跳ね返り、自分さえいなくなれば、みんなは楽しくなれるのに、と思って、自分を排除しようと思う。

どんなに自分にとって都合の悪い人がいたとしても、その人がいなくなれば、問題が解決される訳ではない。また、第二第三のその人が現れて、自分を苦しめる。

問題は自分の心にある。そう思って、嫌な人も嫌だと思いながら、この人もここにいていいんだと思う。

それはその人のために思うのではなく、自分の為に思う。自分もいてもいいんだと思う為に、都合の悪い人の存在も許してゆく。それができたら心はぐっと楽になる。自分の為に他人を許せたらいいですね。

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