私たちは我を拡大する為に生きている。我の拡大とは、何かに我をつけて自分のものにすること。
そして、一度、自分のものになったものは永遠に自分の元から離れないと思って安心する。
自分が我をつけたものが変化してしまうなんて思わない。自分の中でこれはこういうものだとイメージした通り、いつまでも変わることなく続いてゆくと思っている。
これが執着と言われるもの。
執着とは一度こうだと決めたものは、たとえそれが変化して変わってしまったとしても、その変化を認めることができず、これはこうだったじゃないかと思って、自分の最初に決めたイメージに固執すること。
これが執着。
私たちは執着がある為に自分の我をつけたものを見ているようで見ていない。
そして、見ているものは次のもの。何を自分のものにするかばかり見ている。
でも、そうやって我を拡大してゆく人生は、失ってみると何も残らない。
自分は一体何をしていたのだろうと思って、心が虚しくなる。
仏教から言ったならば、本当に自分にとって大事なものは自分のそばにあるのに、その大事なものが見えておらず、ほったらかしにしている。
そして、いつか使うものばかりにお金をかけ、一度買ってしまうと見ることなく、タンスの肥やしにしている。
多くのものに心を奪われ、大事なものが見えていない人生。
それは最後に大事なものがボロボロになり、大事なものに見捨てられる人生。本当に大事なものに気づく為にも執着を断って整理をしてゆかなければならない。
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