報いを受けてゆかなければならない。

人は自分にとって都合が悪いことが起きると、自分の種まきによって、このような結果がやってきたんだと思えずに、あの人がこんなことをしたから自分はこんな悲しい思いをしたんだと相手を責める。
確かに相手が自分の思い通りに動いてくれたならば、私は悲しい思いをしなくて済んだかも知れないが、このような結果になってしまったのは、すべて自分の蒔いた種まきの結果。
その時、自分はショックから立ち直ったのかも知れないが、相手も都合良く立ち直る訳ではない。
自分の心が戻ったとしても、すべては元通りになる訳ではない。これから自分の蒔いた種まきの結果を受けてゆかなければならない。
その時、どんなに自分が悲しい思いになったとしても、寂しい思いをしたとしても、それも自分の蒔いた種まきの報い。
寂しい思いに耐えながら、結果を受けてゆかなければならない。
でも、人は報いを受けた時に、自分がこの結果を受けなければならないと思えずに、私はこんな悲しい思いをするのは、あいつのせいだと他人を恨む。
恨んだって、相手は変わってくれる訳ではないのに、相手を心の中で一方的に責めて、自分は悪くないと心を納得させようとする。
でも、そうやって他人を責めても現実は変わらない。むしろ余計悪い方に進んでゆく。
報いは自己反省の時間。
どんなに寂しくても、どんなに悲しくても、今はこの現実を受けてゆかなければならないと思って、受けとめなければならない。
そして、自分の現実を生み出した種まきを反省し、自分はこんな種まきをしたから、今このような現実の中生きてゆかなければならないと受け止める。
そして、もう二度とこのような現実を受けないように、種まきを変えてゆくしかない。
私たちの受ける結果はすべて自分の種まきが生み出したもの。だから、自分の種まきが変われば、現実も変わる。
自分の種まきによって大切なものを失ったとしたら、失った現実の中生きてゆかなければならない。
現実を見たくないから逃げても現実は変わらない。すべては自分の種まきの結果。
現実を受け入れ、種まきを変えてゆく。
運命は自分の種まきによって生み出される。だから、どんな現実がやってきたとしても、運命を変えるのは、自分の種まきしかない。
悲しい現実を受けとき程、他人を責めるのではなく、心を入れ替えて、種まきに徹する。それしか幸せになる道はないのだから。

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