四智2(平等性智)

次の末那識が平等性智になるとは、この末那識とは、自分の見ている世界は自分の心に映る映像に過ぎないのに、そのことが分からず、現実の世界だと思い込んで、これは自分のものだ、これは他人のものだと物事を二つに分ける心を言います。それは、私たちは無明によって真実の自分が隠れているので、自分で自分を感じる事ができません。その為、自分の心に映る唯識の世界を我と他に分け、色々なものに我をつけて、これは自分のものだと執着し、現実に我がついたものがあるように自分も存在するのだと自分の存在を確認するのです。
そして、自分を感じようと我に執着すればするほど、他を否定し、我に価値を置くほど、他を馬鹿にして、自分の心に映る唯識の世界を二つに切り裂いてゆくのです。
この為、これは自分じゃないと他に対してやった行いが自分に跳ね返り、例えば、馬鹿にしたら、馬鹿にされているように感じたり、責めたら、責められるように感じたり、執着して相手を縛ると自分も縛られているように感じたりするのです。
しかし、仏性の働きによって無明が破れ、真実の自分が知らされると自分で自分を感じる事ができるようになり、我に対する執着も少なくなってゆきます。そして、我も他も自分の見ている世界は自分の心に映る唯識の世界であるから、我や他に対して発した感情は自分に跳ね返って来るのだと思って、我も他も差別する事なく、全部自分なんだと思って接するようになるのです。
これが平等性智です。

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