他人を批判し安心しようとする心

私たちはどんなに自分が正しかったとしても、それで他人を否定するとそれが鏡のように跳ね返り、自分が否定されるのではないかと不安になる。つまり、どんなに自分が正しいからと言って、他人を否定したら、その分だけ自分が苦しまなければならなくなる。

では、どうしたら否定しないようになるのか。

どんなに正しいことをしたとしても、相手を否定したら、自分が否定されて苦しまなければならない。つまり、正しいことをするかしないかということと、それで自分が苦しむかどうかは関係ない。どんなに正しいことをしても、他人を否定した分だけ自分が苦しまなければならないと分かったならば、自然と他人を否定する事はしなくなる。

でも、どんなに否定したら、後から否定されて苦しまなければならないと分かっていても、白と黒で世界を見ている私たちは他人を否定した分だけ自分が白になって安心できるので、不安になると、すぐに他人を否定して安心しようとする。それは安楽イスのようなもの。私たちは他人を否定した分だけ、自分が間違っているかも知れないと思うと不安になる。その不安を誰かを否定することによって安心させようとする。そうやって誰かを否定して黒にすることによって、自分を白にした方が簡単に安心できるので、私たちは不安な時ほど、安心したいと思って、誰かを否定する。

だから、この負の連鎖から離れる為に、聴聞しなければならない。聴聞とは自分の姿を知る為の手段。誰かを否定して正しい所に自分を置こうとしていることが、聴聞すると分かる。そうやって、少しずつ他人を否定して安心しようとする心から離れてゆくことができる。

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