御一代記聞書 人の悪きことはよくよく見えるなり

 「人のわろき事は、能く能くみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。わがみにしられてわろきことあらば、能く能くわろければこそ、身にしられ候うと思いて、心中を改むべし。ただ、人の云う事をば、よく信用すべし。わがわろき事は、おぼえざるものなる」由、仰せられ候う。[195]

(意味)

人の悪いところはよくみえるもの。それに対して、自分の悪いところはなかなか見えないものである。だから、自分の欠点に気付くところがあったならば、それはよほど悪いからこそ、身に知らされたものなのであると思って、自分の心を改めてゆかなければならない。ただ他人から自分の欠点を教えてもらったならば、それをよく信用しなさい。自分の直すべき所というのは、自分ではなかなか気付かないものであるから。

(解説)

私たちは目が外についているから、他人の悪いところはよく見える。それに対して自分のことは自惚れているので、自分の欠点というものには気付かない。だから、みんなできる所に自分が立っている。できる所に自分が立っているというのは、善人だとうぬぼれているということ。そして、できない人を見て、見下している。そんなものもできないのかと笑っている。本当は他人の振り見て、我が振り直せで、他人のできていない所は自分もできていない所だから、形はやっているかも知れないけど、本質は変わらないから、その本質を反省してゆかなければならないのに、私たちは、自分はできていると思っている。どんなにお粗末な状態であっても、自分の姿というのは見えないもの。だから、出来ている所に立って、簡単に他人を見下す。見下すから、できない所が余計見えなくなる。それは自分のできていない所が少しでも見えると、あの人の方がもっとできていいないからと他人を批判するから。そうやって、できている所に立つ。それはみんなそう。みんな自分は善人だと自惚れている。だから、普通は自分の欠点に気付くことはない。もし気付くことがあったとしたら、それはよほど、悪いからだと思わなくてはならない。だから、普通は自分の欠点というのは他人から教えてもらうもの。そうやって教えてもらった欠点というのは、自分は本当に直さなければならないから教えてもらったのだと思って、その人の言葉を心から信用して悔い改めなければならない。

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