他人のせいにするから耐え難い苦痛となる。

人から無視されることは寂しいこと。でも、どんなに寂しさを感じていたとしても、それが障りになる人と障りにならない人がいる。
障りになるとは、単に寂しいと感じるだけでなく、それが耐えられない苦しみに思えて、寂しくさせた相手を責めずにはおれなくなること。
このような人は、あの人がこんなことさえしなければ、私はこんな寂しい気持ちにはならなかったと他人のせいにしている。
苦しみとは、他人のせいで苦しんでいると思った時、それは耐えられない苦痛に変わる。
それは自分が苦しんでいるのは他人のせいなのに、その人が私の苦しみを解決してくれる為に何もしてくれないから。だから、他人を責めて、その人に何とかしてもらおうとしてしまう。
でも、他人を責めたって、その相手が私の苦しみを何とかしてくれる訳ではない。
だから、他人のせいにして責めれば責めるほど、自分は悪くないのに苦しまなければならない現実が認められず、それは耐え難い苦痛となる。
苦しみは誰が悪いと他人のせいにしても仕方ない。それは他人のせいにしたからと言って、他人が動いてくれる訳ではないからだ。
だから、誰が悪いかなんて問題にするのではなく、自分が苦しんでいるのだから、自分のために自分が動く。
そうやって動いている人は、苦しみはやってきても、その苦しみが耐え難い苦痛になることはない。
同じ苦しみでも、それを他人のせいにするとしないとでは、感じ方は全然違う。
だから、どんなに苦しくても、他人のせいにすることはせず、その苦しみに対して対処してゆきたいですね。

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