私たちは他人から馬鹿にされると苦しくなる。
それは馬鹿にされることによって我が否定されるから。
我とは、他人から見た自分の姿。私たちはこの我に価値を置き、他人からどう見られるかということを気にしている。だから、他人から良く見られると、自分は善人になったように感じて嬉しくなるし、他人から否定されると、自分はこの世に生きていてはいけない悪人のように感じて苦しくなる。
私たちの人生とは、少しでも価値のある存在になりたい、良く見てもらいたいと我を問題にして価値のある我になって、まわりの人から良く見られる為に生きている。
だから、自分では価値を置いている我を馬鹿にされることによって否定されると、まるで自分は価値のない存在のように感じて苦しくなるのである。
でも、私の価値は他人が馬鹿にしたことによって下がるものでもなければ、他人が良く見てくれたからと言って上がるものでもない。
自分は自分。今日誉めて明日悪くいうようなコロコロ変わる他人の評価によって自分が決まるものではない。
そう思えたら、どんなに馬鹿にされても自分は自分と思ったらいいのに、私たちは我が自分としか思えないから、他人の評価が変わるだけで、自分はいらない人間になってしまったように感じて苦しむ。
我に代わる本当の自分を映す鏡を知らなければ、私たちはいつまでも他人に振り回されて生きなければならない。
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