どう見られるかを気にする人は

みんな人からどう見られるかばかり考えている。
他人からよく見られたい、他人から悪く見られたくない、白い目で見られたくない。
他人の目に映る自分を少しでも良くしようと生きている。
でも、仏教という教えは、自分がそんなに他人からどう見られるかばかり問題になるのは、自分が他人のことを見てあげていないからだと教える。
自分が他人や物を見ていないから、自分もまわりの人から見てもらっていないように感じて、他人からどうしたら見てもらえるか、他人の目が気になる。
他人からどう見られるかばかり気になる人は、まず自分の物を整理して、物をちゃんと見て、使ってあげよう。
自分の物には、自分の我がついている。我とは自分の分身。我のついている物をどう扱うかによって、自分はまわりからどう見られているか、感じ方が変わる。
他人からどう見られているかばかり気にしている人は、まわりから自分の存在を軽く扱われているように感じている人。
それはそのまま自分自身が自分の我のついているものを軽く扱っているから、そう感じでしまうのである。
だから、まわりの人からどう見られるかを気にするよりも、まず自分が自分の我のついている物を見てあげる。
見てあげれば、見てもらっているという安心感が生まれる。
結果、他人からどう見られるかを気にすることも少なくなってゆくのです。
どう見られるかよりも、自分がまず見てあげることが大事なんですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました