仏法の修行とは、

仏法で修行とは何か?
滝に打たれることが修行か。苦しい環境に自ら飛び込むことが修行か。
私は仏法の修行とは、苦しみに耐えることではないと思います。
仏法の修行とは、自分の感情を大事にしてゆくこと。でも、感情を大事にすることと楽をすることとは違うし、欲を満たすことでもない。好きなことさえしていればいいという訳ではない。
感情を大事にする為には、まず自分の心が見えていなければならない。だからこそ、欲に塗れた生活をして、心が見えなくなったり、また、他人に気を遣って自分に嘘をついて心が見えなくならないように、生活習慣を正すことが大事だし、自分の心に正直になることが大事。
そして、自分の心が見えたならば、その心を誰かに話して受け止めてもらうこと。
私たちは誰しも自分のことを認めてもらいたいという心がある。だから、他人のために頑張った時には、こんなに頑張ったんだと正直に話して、自分の努力を認めてもらう。
また、相手の言動によって自分の心が傷ついた時は、その心を放っておくことはせず、こんなに傷ついたんだということを話して受け止めてもらう。
自分の心に優しく守ってあげることが修行。だからと言って、自分のことを優先すればいいという訳ではない。それでは、自分の心が見えなくなる。自分の心が見えなかったならば、何を大事にすればいいか分からず、ただ楽を求めるようになる。楽を求めることと心を大事にすることは違う。心を大事にするとは、自分の心をいつも見て放っておかないようにすること。欲に流れている人は、自分の心が見えてない。心を大事にするからこそ、欲に流れないように、いつも心が見えるようにしておく。
心が見えていてこそ、心を大事にすることができる。この心を大事にすることこそ、仏法の修行なのです。

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