仏法に触れていなければ、正気は保てない

仏の心とは利他の心。目の前に苦しんでいる人がいたならば、その苦しみを取り除いて幸せにしてあげること。それが仏の心であり、仏の道。この道を進んでゆくことで、仏の気持ちが知らされる。苦しんでいる人は世の中にはたくさんいながら、自分の欲の為に、その人たちを放置して、何もしていない自分がいる。

自分にできることが必ずあるはずなのに、それができておらず、膨大な時間を無駄に過ごしている自分がいる。

仏だったならば、そんな欲に流れることなく、他人を幸せにする為にいつも時間を費やしているはずなのに、自分はそれができておらず、ただ惰眠を貪っている。

不思議なもので、仏法に触れている間は仏法は素晴らしい。もっと仏法に触れて法味を味わっていたいと思うのに、一度欲に流れるとどこどこまでも、欲に流れていたいと思ってしまう。

その中、自分が仏のためにできること。それはいつも仏法に触れてゆくことだと思います。

仏法に触れたならば、その仏法の素晴らしさが知らされ、時間がある限り、仏法を伝えてゆきたいと思う。

この心が利他の心であり、この心が消えないように、常に仏法に触れてゆかなければならないのだなと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました