仏教でいう愚痴とは何か

仏教でいう愚痴とは何か?
愚痴とは因果の道理が分からない心。結果には必ず原因がある。
自分はなぜこんな目に遭わなければならないのか。
どうしたら幸せになれるか。自分にやってくる運命には原因があり、運命を生み出す法則がある。
その法則が分からず、自分の信じる正義に従って生きることが愚痴。それは真理に従ったものではないので、どんなに頑張っても、苦しみの沼の中をもがくだけで、そこから抜け出すことはできない。
だから、幸せになりたければ、闇雲に頑張ることではなく、自分にやってきた結果を見つめ、どうしてこんな結果になったか考える。そして、過去のどんな種まきが今の結果を生み出しているか、その法則を見つけ出すことが何よりも大切なことなのです。
多くの場合、私たちは過去から幾たびも同じような結果を受け続けている。それは何度も何度も失敗しているのに、なぜそんな失敗をしたのか、その原因を反省することなく、同じ種まきを続けているから。
だから、同じ種まきをしているから同じ結果しかやって来ない。
結果を変えたければ、まず現実を見つめ、それがどんな種まきによって生み出された考える。そして、幸せになる為に種まきを変えてゆくことが必要なのです。
運命は自分の種まきによって変えてゆくことができる。その為には、種まきと結果との間の法則を見つけること。それが分かったならば、後は種を蒔いてゆくだけ。それによって運命を自分の望むように変えてゆくことができる。
漠然と生きていても幸せになれる訳ではない。運命を変えるのは、自分なんだと思って、具体的に自分の種まきを変えてゆくことが大切なことなのである。

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